シュレディンガーのチョコパフェ

 著者:山本弘
 発行者:早川浩
 発行所:株式会社 早川書房
 2008年1月15日発行

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 僕は地面に大の字に横たわり、歓喜の余韻に酔っていた。泣いていた。愛する男に抱かれた少女のように。疲れ果ててはいたが、満足だった。実際、異質な詩に脳の中を蹂躙される感覚は、性行為に似たものがあった。プライドという衣服をずたずたにされ、裸の魂を抱き締められ、自意識の核を言葉のペニスで貫かれるのだ。その倒錯した歓びは、本物のセックスなど比較にならない超越的な体験だった。
 もっと知りたい。
 「一日にひとつだ。」
 お願いだ。もっと聞かせて。
 「まず回復しろ。今の君では、次の戦いに勝てない」
 死んでもかまわない。
 「私は死ぬために教えるのではない」

 「メデューサの呪文」より抜粋

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 「シュレディンガーのチョコパフェ」
 「奥歯のスイッチを入れろ」
 「バイオシップ・ハンター」
 「メデューサの呪文」
 「まだ見ぬ冬の悲しみも」
 「七パーセントのテンムー」
 「闇からの衝動」

 5日振りの読了。4日程まともに本を読んでいませんでした…。(とは言っても1日最低30頁は読んでいましたけれどね(そんなの読んだ内に入りません!))本を読む習慣っておそろしいですね。最近は 仕事→帰宅→読書→少しの睡眠 のコンボを決めていたんですが、其れが寸分狂うと読む気が失せてしまう…。まるで食事を摂るタイミングを失ったかのように。と、いうような事を感じるという事は、自分の生活リズムの中に「読書」が確実に組み込まれ初めているという事なのかもしれません。ちょっと嬉しいですが、簡単に其れが抜けてしまうのはやはり生活に置いて"絶対必要"という訳では無いからなのでしょうね。(当たり前ですが)"絶対必要"になった時点で生活が危ぶまれたりしそうなので(本気で没頭してしまいそう)コレ位が調度良いのかもしれません。

 2月に購入、4月に読み始め、5月の末に読み終わるなんて結構時間が開いてしまいました。よくよく考えると、2月や4月はまだSFにガッツリはまり込んでいなかったので、SFの世界に陶酔しにくかったのかもしれません。そういう場合は一度本から離れる事がいい事なんだな、と、「後藤さんのこと」を読んだ時にも感じました。実際4月半ばに表題作を読んだきり放置だったのですが、慣れてきたんでしょうね。今日頁を捲って合計3時間で他すべて読みきる事が出来ました。ほんと読書って慣れですね。

 上記したように本作はSFの塊です。読んでいてて違和感を少しだけ感じ、あとがきや解説を読んだ後に其の違和感の正体が"オマージュ"だという事に気付きました。私の中で一番わかり易いのが「奥歯のスイッチを入れろ」がそれ。「奥歯のスイッチ」+「加速装置」=「009」。そして気付いてしまった…私…オマージュ苦手だわ。
 やはり何処までも原作だとかそういう所と"比べてしまう"のはオマージュを読む時にしてはいけないと思うんです。自分の中で。逆に、思い出して、エッセンスにして楽しむのが一番いいんでしょうけれど、其れが中々上手に出来ない事が判明。作品自体はとても楽しく読ませてもらいましたが、少しモヤモヤ。

 本作の中で面白かったのが「メデューサの呪文」と「七パーセントのテンムー」でした。
 「メデューサの呪文」はもう凄く私の好み。簡単に言うと「言葉で人を壊す」というもの。こういう設定大好きです。
 「七パーセントのテンムー」は恋愛小説のような感じ。本作の中で一番読みやすいんじゃないだろうか、と思います。

 短篇集を読むに当たって大事な物は、物語の順番だと思っています。「NOVA 2」の時に其れを酷く感じたのですが、掲載の順番によって読書意欲を削がれるというのは物凄く解せない事だと思っています。短篇集は言わば料理です。調味料の分量は合っているのに、入れる順番を間違えるだけで全てが台無しになってしまう。本作は後半につれて面白さが増していくので読み終わった後に安心感はありましたね。

 オマージュが好きな方ならこれを。でもオススメするなら「アイの物語」ですかね。短篇集のような短編集でないお話の塊。「詩音が来た日」は傑作でした。是非読んでいただきたい。

 少し山本弘熱がだらけてしまいそうなのですが、「去年はいい年になるだろう」も読みたいので、だらけるのは読んでから考えようと思います。

 私が読んだのは文庫版なのですが、読み終わった後は表紙をじっくり見る事をお勧めします。物語に出てきた様々な物が描かれているので見つけるのは楽しいかも。


シュレディンガーのチョコパフェ (ハヤカワ文庫JA)

シュレディンガーのチョコパフェ (ハヤカワ文庫JA)

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

去年はいい年になるだろう

去年はいい年になるだろう

家族八景

 著者:筒井康隆
 発行者:佐藤隆
 発行所:株式会社 新潮社
 1975年2月27日発行

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 読心ができるため、自分は得をしているとも思わなかったし、損をしているとも思わなかった。聴覚や視覚の一種であると考えていた。他の感覚と少し違う所は、感知するために多少の努力を要することだった。七瀬はそれを「掛け金をはずす」ということばで他の精神作業と区別していた。
 「掛け金をはずし」た以上は、必ず「掛け金をおろさ」なければならないことを、七瀬はきびしく自分に律していた。掛け金をはずしたままにしておくと、相手の思考がどんどん流れこんできて、ついには相手の喋ったことと考えたことの見わけがつかなくなり、自分の能力を相手に知られるという非常に危険な事態になり兼ねないことを、七瀬は経験から悟っていた。

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 筒井康隆の「七瀬シリーズ」は有名なので知っている方は多いのではないでしょうか?私は存じ上げずに家にあった「エディプスの恋人」を読もうとした時「七瀬シリーズ」という言葉を目にしました。調べてみるとシリーズ3部作の中での最後の物語。うーん…桐野夏生のミロシリーズを最後から読んだことがある(知らずにですが)のでそこら辺は抵抗ないのですが、あまりにも邪道だと感じた為に「家族八景」と「七瀬ふたたび」の文庫本を購入してきた次第です。(後々本棚を漁ってみると「七瀬ふたたび」があってがっくり。(ほぼ初版のハードカバー)ですが、持ち運び出来ないのでこれはこれでいいのかも。)

 齢18歳。職業は「お手伝いさん」の七瀬は精神感応能力者(テレパス)だ。「お手伝い」という事で一つの家にとどまる事は無い。色んな家を転々とし、家族の心をテレパスで覗いていく。そして、色んな人間を目にしていく。そんなお話。

 1話1話が短くタイトルでもわかるように8つの家庭を転々とする七瀬。発行された時代が古目なので「背徳のメス」同様、時代背景も少し古臭くてとっつきにくいのではないだろうか…という不安があったが、とんでもない!この本の中心は「人の心」である。「増悪」の方が大半なのだが、人間の「増悪」というものはどこまでもどこまでも続くものだなぁと感じてしまった。何十年経ってもこの「増悪」に首を傾げる人は出てこないであろう。人間の汚い部分の本質を抉り出した「増悪」だった。勿論「愛欲」等もあるのだが、いい人がまるっきり出てこないのである。
 人は人と接すると幾らかの感情が出現する。好意もあるが、好意だけで人間関係は務まらないのはご理解いただけると思う。好意の裏には悪意がある。光は光として存在出来るのはその単体だけだからであり、遮るもの(対象物)があれば闇が出来るのは当然の通り。その闇の皮を一枚一枚捲っていくような感覚である。コレを考える事が出来る筒井先生も人間らしいのだな、と、少し感じる。

 読みどころは「増悪」でもあるが、七瀬の心境だと思う。抜粋させていただいた文章を読んで頂ければわかるだろうが、心が読める分読まないように努めなければならない。「掛け金をおろす」のだ。だが、18歳の少女にそれが何処まで出来るのだろう。「小説の中なんだから完璧なテレパスを持った少女を描けばいいじゃないか。SF作品なんだから。」と、言ってしまえば元も子もないのだ。七瀬が18歳で、少女で、処女で、けれどテレパスのせいで少し大人びていて、でも、18歳だという事実。これが面白いのではないのだろうか。

 ぶっ飛んだ物は無いかも知れない。SF作品なんだから、こうもっと有りもしないものだとか、想像を絶するものだとか…という人は別の本を是非。小さなSF。現実的な、とても奇妙な、そういう感じの作品だと思う。


家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

NOVA 2

 著者:神林長平/小路幸也/法月綸太郎/倉田タカシ/恩田陸/田辺青蛙/曽根圭介/東浩紀/新城カズマ/津原泰水/宮部みゆき/西崎憲
 責任編集:大森望
 発行者:若林繁男
 発行所:株式会社 河出書房新社
 2010年7月20日第一刷発行

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 6月某日
 チンドン屋、というのは古くからある大道芸だそうだ。
 今日、図書館からの帰りに仙台坂を下りていたら、にぎやかに笛や太鼓を鳴らしながら坂を上ってくる一団に出会った。
 先頭を行く男は、このあいだの歌舞伎に出てきた衣装に似たものを着け、身体の前に太鼓を抱えてどんどん打ち鳴らしている。日本髪の女性もいる。白塗りの化粧、ピエロのような笑みを浮かべた裂けた唇。ボブ・カットの子供もいたし、大きな猫もいたように思う。
 私と同様、他の通行人もあっけに取られた顔でその一団を眺めていた。「本日 新装開店」というタスキを掛けている。
 奇妙な節回しで、やけに明るい歌を歌っている。歌詞はよく聞き取れなかったが、途中で何度も声をそろえて繰り返す「サビ」だけは聞き取れた。
 「励ましたい 励ましたい 東京励ましたい
 励ましたい 励ましたい 日本励ましたい」
 そのフレーズだけがやけに頭に残る。
 数えてみると8人(猫を含めて)だったが、彼らはゆったりと坂を上ってゆき、交差点を曲がって見えなくなった。

 「東京の日記/恩田陸」より抜粋。

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 「かくも無数の悲鳴/神林長平
 「レンズマンの子供/小路幸也
 「バベルの牢獄/法月綸太郎
 「夕暮にゆうくりなき声満ちて風/倉田タカシ」
 「東京の日記/恩田陸
 「てのひら宇宙譚/田辺青蛙
 「衝突/曽根圭介
 「クリュセの魚/東浩紀
 「マトリカレント/新城カズマ
 「五色の舟/津原泰水
 「聖痕/宮部みゆき
 「行列(プロセッション)/西崎憲

 書きおろしSF短篇集。著者も豪華なら内容も豪華で大変満足させていただきました。SF成分が最近足りていなかったのですが、吸収しすぎた感。

 まず読み終わった後は「順番最高」って言う事。この順番だから最後まで私は楽しめたかもしれない。責任編集社の大森さんGJ。

 内容としては、読んだ事の無い作家さんばかり。唯一宮部みゆきだけは若い頃に「火車」と「龍は眠る」を読んだ事がある位で他の方の作品は触れた事すらありませんでしたし、存じあげない方もちらほら。SF界で有名な方がいらっしゃるのですが何せSF初心者マークをおでこに貼ってる状態で本を読んでる身分なのでまだまだ知らない事だらけ。けれど、こういう短篇集は嬉しい。長編を読むのって結構骨が折れるし、途中が面白く無いとダレてしまう、最後に面白くなる筈!と、タカをくくって我慢して読んで最後に尻つぼみなら、もう一日が灰色に見える程凹んでしまう。その点、短篇(と言っても100頁位あるものも入っているのだが)はとっても親切。試し読みのような気持ちになる。が、内容は(当たり前だが)決して試し読みなんかのレベルで収まるようなものではない。

 本書の中でマイベストを唱えるならば「クリュセの魚/東浩紀」だろう。きっと著者の文章が私の肌にとても合ってる上に話が柔らかくて面白い。SFとしてはとてもイメージしやすいものでアニメ化されたら凄く綺麗な映像になるんだろうなぁというそういう印象。

 個々の感想を書きたいのだけれど、これは是非読んでいただきたいと思う本なのであまり長々とは書きたくなかったりする。SFが苦手な人は読みやすい物もあるので訳が分からない物はもう飛ばしてもいいんじゃないかと思ったりもするのだが、上記したようにこの本の掲載してる順序バランスは完璧だと思うので是非抜粋しないで読んでいただきたい。

 読みやすさで言えば「レンズマンの子供/小路幸也」は児童文学にも近しい読みやすさで、短さで言えば「てのひら宇宙譚/田辺青蛙」が一番だ。田辺青蛙の文章は初めて読んだけれどこの人の本を読んでみたいとグンと思える作品だったので凄いと思う。あの短さでだ。相性もあるのだろうけれど。

 読むのをやめてしまおうかと思ったのが「夕暮れにゆうくりなき声満ちて風/倉田タカシ」である。もうこれは買って読んでいただくしかないだろう。そして悩んでいただきたい。説明にも書いてある通り、部屋でゆっくりとした気分で読んでほしい。決して電車やバスや公共の場、人の多い場所では開かれないようご注意を。

 「かくも無数の悲鳴/神林長平」はとにかく凄い。著者の神林さんはSFの巨匠と呼ばれているらしい。其の理由が本作でもよくわかる。これだけの作品をほぼイッキ読みしてしまうと最初の方の作品を忘れてしまいがちなのだがしっかりと脳裏に刻まれている。しょっぱなから「ガチSF」で初心者マークの私は少し眉を潜めてしまったがそんな事は一瞬だった。「バベルの牢獄/法月綸太郎」も驚愕だった。ラストシーンは最高。声が出て拍手をしたくなる程の作品だと思う。

 後、今!今読まなければいつ読むんだ!今これを読まないと1年後になったら後悔するぞ!今現在でも「少し遅かったな…」と思った位な作品が「東京の日記/恩田陸」である。とにかく読んで欲しい。あの大きな傷痕を忘れてしまう前に、是非、是非!

 とにかく!感想は述べたくない位の出来だったと私は思う。「聖痕/宮部みゆき」は結構長い作品だが、流石宮部みゆきという所だろう。読みやすさと話の滑らかさは抜群である。読むのを止めるよりも読み終わる方が早かった気がする。

 そして最後の「行列(プロセッション)/西崎憲」は、作品をきちんと全部読んでからゆっくりと読む事をおすすめする。ちなみに私は朗読して読んでしまいました…。結構こういう語感が好きで、好きな語感は朗読したくなる。
 結構「あーこの本頭に入ってこないなぁ」と思う場合は、めんどくさいかもしれないが携帯やPCの録音機能だとかを使って朗読録音をし、聞いてみると結構すんなり内容が入ってきたりするので理解出来ない内容が出てきた場合はオススメである。但し時間がかかる上に無闇矢鱈と読めばいいってもんでもないので暇な人専用。私はそれで本作の「衝突/曽根圭介」と「マリカトレント/新城カズマ」の冒頭部分を理解していたりした。(但し携帯に残す場合はバレると恥ずかしいので理解したらすぐ消す事をおすすめする。)

 読んでよかった。ガチSFの嵐だったけれど大満足。この後の本がかすれてしまうんじゃないかという不安で次に手を伸ばす本を現在決めあぐねている状況だったり。いい本に出逢うとこういう所苦労しますね。

 まだ「NOVA」の方には手を触れていないので近々手に入れてSF成分が足りない時に補おうと思います。大好きな飛浩隆先生の作品も入っている「NOVA」が楽しみで今からもうワクワクしてます。子供みたいになれるから本ってやめられない。


西の魔女が死んだ

著者:梨木香歩
発行者:佐藤隆
発行所:株式会社 新潮社
2001年8月1日 第一刷発行

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 「わたし、やっぱり弱かったと思う。一匹狼で突っ張る強さを養うか、群れで生きる楽さを選ぶか・・・・・・」
 「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますあか」
 これは説得力があった。でも、まいも負けてはいなかった。もうまいはほとんどおばあちゃんに遠慮することはなくなっていた。
 「おばあちゃんはいつもわたしに自分で決めろって言うけれど、わたし、何だかいつもおばあちゃんの思う方向にうまく誘導されているような気がする」
 おばあちゃんは目を丸くしてあらぬ方向を見つめ、とぼけた顔をした。

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 映画にもなったし凄く話題になった本なので知ってる人も多いだろうと思う。
 優しい本だ。とても優しい。否定する所が無いという感じで優しい。これは「百瀬、こっちを向いて。 - 55book」と同じように私にとって"箸休め本"になるのだろうけれど、小説というより自分への戒めの方が強いんじゃないかと感じる本。そう考えると「老いのたわごと - 55book」にも近しい部分があるかもしれない。

 ただ「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない - 55book」と同じように、読む時期を間違えてはいけない本なのだなぁと強く感じる作品(そんな事は読む前からわかっていたのでもうこれは仕方がない)である。文章としても読みやすく、難しい漢字もそれ程ない。雰囲気で言えば「森ガール特集」みたいな感じで想像してもらえればなんとなくはっきりするんじゃないのだろうか。そう、現実的な夢現なのだ。

 小さな頃、もっとこれから少女として成長していく段階で読めば間違い無く平山夢明等を読む成人に成長しないだろうと思われる本だ。其れ位の差がある。
 この歳になると、ここまで絶賛される本を読むと「嗚呼、こういう所がいいのだな。」だとか色々といい所の粗探しをしてしまうのが悪い所。…と、いうかそういう事をする私がきっと嫌らしい成人に育ったに違いない。それはそれでとても結構な事なのだろうけれど。
 絶賛される本というものは、否定しづらい本だと少なからず思っている。私はこの本をそう解釈したし、当たり障りなくオススメ出来るだろう。

 …きっと本の感想を書く時は私自身も真っ白な1頁として頑張らなければならないのだろうけれど、そこら辺が上手くいかない時点でまだまだなんだろうな。

 とにかく、私は歳を取り過ぎたし知識を得過ぎたし面白い物を知り過ぎた。そういう面からいうとこの本は「物足りない」。ラスト3頁にウルッとはしたが、其れは人の死という、自分が体感してきたであろうものがこみ上げたようなそんな感じがする、と、感じただけで凄くもう弄(ひねく)れてて恥ずかしいです…。

 本を読む時、感情移入が激しい人にはいいんじゃないんでしょうか。


西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

後藤さんのこと

著者:円城塔
発行者:早川浩
発行所:株式会社 早川書房
2010年1月15日 第一刷発行

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 もしもですね。
 曲がり角からひょっくり未来の自分が出てきたら一体あなたはどうしますかと、会社の休憩時間に後藤さん一般と立ち話をしていたところ、
向こう側で待ち構えているではないですか。見るからに後藤さん一般にしか見えないものが。ついでに自分にしか見えない人も。これはちょっとまずいのであり、いくらなんでも後藤さん一般と居るときにそれはまずい。
 「刺すね」
 と言い切ってしまうのが後藤さん一般であって、これは後藤さん一般の性質というものなのでどうにもしようが無いのである。
 「刺すんだ」
 「刺さない?」
 「刺すでしょう普通」

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 「後藤さんのこと」
 「さかしま」
 「考速」
 「The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire
 「ガベージコレクション
 「墓標天球」

 円城塔の文章に初めて触れる。「これが円城塔…」という本当にもやもやした気持ちで読み始めたのは昨年の10月である。完全なる興味本位で本を購入した事に後悔した瞬間でもある。この本を紹介した友人が『挫折してもこれは仕方ないですよ』という言葉に普通なら少し「カチン」とくるものだが「うん…少し今の自分では難しいかも知れない…」と素直に思った位この本は難しいというか不可思議である。
 「この本をクリアするには忍耐だ!」と、読み始めた当時の私は確信した。我慢を用いる本の何が楽しいんだと思うかも知れないのだが、負けず嫌いな性格なので我慢を用いてでも読み終えたい本になっていた。…が、忍耐強く無い私は表題「後藤さんのこと」を半分ゆっくり浴槽に浸かりながら読んで湯あたりをし、色々と負けてしまってから疎遠になってしまった。
 が、読書意欲がある内に読めばいいんじゃないのだろうか、というか今しか読めないんじゃないのだろうか、寧ろ今読め位の気持ちになったので久々に続きの頁から読む。半年も前の内容を覚えているというのは私の記憶力が優れているのではなく、ただ単なる後藤さんのインパクトの強さであろう。

 読書意欲と文章慣れというものは恐ろしいと今日はっきりそう感じた。あんなに読むのが苦痛だったこの本がスラスラ読めてしまう。凄い!色々な本に手を出していてよかった!と、本心から嬉しくなり小さく微笑みながら読み進めるのだが、内容的には少し悲しい感じであり其れは少しずつ削がれていった。(のだけれど、嬉しさのあまり読むスピードは恐ろしく早かった。)半年前に忍耐が無くて良かったなとつくづく思う。忍耐だけで読んでいたらきっと私は円城塔を本気で嫌いなっていたに違いない。そんなの勿体無い!

 本作は上記したように「不可思議」である。理解したら負けだと思う反面、理解出来なくても負けだと思うのできっとこの本を読んで屁理屈の天才(円城塔)に勝てる奴などいないと感じてしまうのだが、勝ち負けではないとも思う。ぐにゅぐにゅする反面、文章の読みやすさは異常で慣れてしまえばなんともない。
 どう表現したらいいかよくわかっていないけれど、歌詞の意味も分からずに洋楽を延々流して「これ好きなんだ」と言っているようなものだろうか。

 文章というものには何事にも意味が生じてくる。
 「あkんはkjなbなr;いおはtん:は」←これは私が今適当にタイプした文字だがこれでは文章にはならない。意味をなさないただの文字の羅列だ。
 だが、本書も殆ど文字の羅列のようで、理解出来る所もあるけれど、理解がさっぱり出来ない所もある。と、いうか後者の方が実際多い。これは私の読解能力の問題なのか…いや、そうでもないかな。そう思わせる位訳が分からない事が多い。言葉が右から左へ流れていく感じ。だけどそれがまた気持ちいいのだ。不可思議であるが不可解でない。

 理解がくっついていってないので的確な感想は述べれないんだけれど、「後藤さんのこと」と「考速」と「墓標天球」が個人的に凄く好き。特に「墓標天球」は咀嚼文章だ。何度も読むのがいいんじゃないだろうか。「The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire」だけ抜粋して『これ面白いよ』って人に読ませるのもいいかもしれない。(いや、でもこれは後藤さんを読んだ後だから更に楽しめるのではないだろうか…とも思う。)

 理系であればもっと円城塔の文章は楽しめるんだろうなぁ…と読みながら思ってしまったけれど、多分文系じゃないと読む気力ちょっと出ない位の文章表現は円城塔の卑怯な所だと感じた。

 かなりのラスボス感はあったけど心地良さで締めれたので個人的には○。オススメはしないので読んで後悔してもいいよっていう人は購入してもいいんじゃないのだろうか。ただ、読了してもしなくても負けは負けなのでもうそこら辺は諦めていいと思う。


後藤さんのこと (想像力の文学)

後藤さんのこと (想像力の文学)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

著者:桜庭一樹
発行者:井上伸一郎
発行所:株式会社 角川書店
2004年11月 富士見ミステリー文庫より 第一刷発行

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 「ぼくは」
 「・・・・・・ぼく?」
 映子だけじゃなくみんなが小声で聞き返した。それから転校生の体をじろじろと見た。制服の胸がふわんとかわいらしく盛り上がっていた。標準より少し短めのスカートから、青白い細い足が伸びていた。女子だ。
 「ぼくはですね」
 藻屑が断固とした口調で言った。
 「ぼくはですね、人魚なんです。」

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 人生二度目の桜庭一樹である。一度目は桜庭一樹読書日記-少年になり、本を買うのだ。-(http://d.hatena.ne.jp/g_55cha/20110507/1304780582)である。エッセイだったけれど十分な程の読書意欲を貰い、尚且つ楽しませてもらったのでいずれ著者の作品は読みたいと思っていました。が、一度目に読んだ本のせいで積ん読が人生初な位、溜まりに溜まって身動きが取れない状態だったので少し諦め、母と本屋に赴いた時ふと目に止まり購入を決意。溜まりに溜まっているならもう何冊増えても一緒じゃないかというよくわからない"やったれ!"という気持ちが強かったのかもしれないです。それに、本作は解説を含め200頁程しか無く、ジャンルは"ライトノベル"というではありませんか。俗にいう"ラノベ"は基本的に苦手ジャンル(偏見ですが表紙や文章の途中にアニメ絵等があるような物がライトノベルだと思っていました…。そういうのとても苦手なんです。)なので「読めるのかなぁ…」という気持ちは少しあったり。後は桜庭一樹の著書を読んだ友人が「自分が読んだ本はあまり面白くなかったです…」と言っていたのを思い出したりして買った後もすぐには手を付けず多少放置状態。恥ずかしながら著者が直木賞作家だった事も知らない程の無頓着ぶりが私にあったりと、もう本当に勉強不足で顔から火が出そう。賞を取るからには、やはり評価される素晴らしい文章なんだと頭では理解しているのですが、性格的に天邪鬼だったりするもので有名所には疎いのです。こういう事を言ってしまうのも恥ずかしいですね。もっと勉強しなければ…。

 さて、本書ですが冒頭で主要人物が死ぬ事が確定されています。いきなりズドンと撃ちぬかれるそういう感じ。その事実を踏まえて読めよという強迫観念(というのは言い過ぎですが…)…嫌いでは無いです。英語を訳すように読んでいく本は嫌いじゃありません。最後の最後でどんでん返しが好き!っていう人は嫌なんでしょうね。アニメでもネタバレされると怒る人種だと思います。ちなみに私は全然怒りません。聞いた後の物を、目で見て脳で咀嚼するのもたまには乙な物だと思うのですがね。

 キーワードは「実弾」と「砂糖菓子の弾丸」です。こういう話はネタバレしちゃうので凄く感想が書きにくいですね。文章能力の無さをいつでも痛感します。

 この話には暴力があります。拳で殴る暴力と、心を煙草の火で押し付ける暴力の二つが折り重なって痛々しいというのを通り越し、テレビでニュースを見ている感覚に少し陥るのではないでしょうか?主要人物の「藻屑」は有名歌手の父親と女優の母親との間に産まれた子。やはりダイヤからはダイヤの原石が産まれるのだろう、藻屑自身とても美しい顔立ちだった、が、変わっていた。人魚なのだという。
 泡になるだとか、天気予報にない大嵐が来るだとか、うさぎは人魚の天敵だとか、そういう事を主人公の「なぎさ」に懐いて延々と話す。空気の読めない馬鹿な子な藻屑。そこには沢山の悲しい理由が散りばめられてて、その悲しい理由ですら藻屑のアイデンティティなのだ。それが無いと行きていけない。それで今まで構成されてきた。だけど、藻屑は打ち続けるのだ。どうにもならない"砂糖菓子の弾丸"を。誰も傷付ける事が出来ない、誰も理解する事が出来ないソレを藻屑は延々と打ち続ける。親に、皆に、そして、なぎさに。
 そして其れは確実になぎさの体に埋めこまれ、少しずつ浸透していく。藻屑が"人魚"ならば、なぎさは"海"だった筈だ。
 悲しい味しかしない海を見つけた藻屑は、甘い海になっていく友達に最後何を思ったのだろう。

 もっと若い頃に読めればよかったと思う作品。もっともっと感じられる年齢で。今の私の年齢では"担任教師"の目線位でしか見れないのが悔しい所。きっと涙をぽろぽろと零して読んでいただろうし、胸がもっと痛かっただろう。砂糖菓子の弾丸に侵食されていくのは私だったかもしれない。

 読みやすさでも群を抜く程のものだった。そのかわり、冒頭の悲しさを引き連れてなので本気で泣きたいという人にはオススメ出来るだろうか…。いささか不安である。

 何処もかしこも闘いなのだ。終わらない闘い。そこでの武器を手にして、負ける闘いもある。

 何処もかしこも戦争なのだ。

 生き残った私たちはこれから何と闘うのか。だから、そういう疑問を若い時に。と、無限ループになりそうだ。


背徳のメス

著者:黒岩重吾
発行者:佐藤隆
発行所:株式会社 新潮社
1960年11月 第一刷発行

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 「斎賀君、君の言ってることは子供の質問だよ。人間て奴はね、一つの面だけで生きているんじゃないんだよ。人間も三十半ばになると、色々な垢を身につける。だがね、その垢を落とした時、中身まで腐っていたら、その人間はお終いだよ。確かに君の言う通り、人さまから見れば僕は垢だらけだ。しかしな、最も大切な中身は海からあげたばかりの刺身のように、生き生きしているんだ。外見だけ綺麗な服装をして、中身の腐ってふにゃふにゃしている奴より、僕はずっとまともな男だと思っているよ」

 「さー、わたしにはあなたのおっしゃる意味がよく分りませんが」

 斎賀は鼻白んで答えた。

 「こんな簡単なことがわからないようじゃ、人間を廃業するんですな」

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 第44回直木賞受賞作品「背徳のメス」読了。

 母から「黒岩重吾は面白いから一つは読んでおくといい」と言われ読む事にした。黒岩重吾と言えば検索してもらえばわかる通り、古代史を多く手がけている。…私はあまり古代史が好きではない。歴史が分からない阿呆だからだという説明が的確だろう。知ればきっと面白いのだろうけれど、齧ってもいない知識で読むのはこの上なく失礼だと感じてしまうので手が伸びない。なので一番目についたこの本を選ばせてもらった。

 時代背景が物凄く古く、院内で軽々しく煙草が吸える、ホテル代が600円、給料が1万〜2万という、そんな頃の話。
 院内で起こったとある事件に対し、植秀人が色々と探って行くという内容なのだが、人間の増悪とは恐ろしいものだと感じた。"欲"が人間らしさを纏う作品は久々である。"欲"なんてものは人様々だ。あのバックが欲しい、この服を身に纏いたいという小さな物から、あいつを殺したい等という恐ろしい物、世界征服するぞー!なんていう馬鹿げた物まで、総て"欲"なのだ。だが、この作品に出てくる欲は前者が一番多い。人間とはこうも汚いものなのかという事を総て過ぎ去った大人と呼ばれる人種から見る"欲"がこれなのではないのだろうか。其れは実にちっぽけで哀れな物もある。が、其の人にとっては重大で其れを糧にする位の物になる時もあるのだ。

 推理小説なので少しずつ謎が紐解かれる。「まさかあの人が犯人だなんてー!!!」なんていう驚きは無かったが「あれ、この人関係無いのかな?」という所からひょこっと犯人が出てくる感じ。そのような感じは結構安心して読めて好きである。思いもよらずに新犯人が出てくるなんていう突拍子も無いものより少し犯人が読める位が丁度いい。テストで自分の答えが合っていたかのような気分は、その先を読ませる原動力になる。

 推理小説でなくてもよかったのではないのだろうか?と、思う節もあるが、これはこれでよかったと思う。ただ、やはり時代背景が古いのと、物語が繰り広げられる土地が大阪なので、関西弁が多様されそういう部類の本が嫌いな人にはオススメ出来ないかも。私は古い病院のシステムもまだわかる方なので楽しめた。「嗚呼、もうその消毒薬は使っていないよ…」等という意味のわからない所でも。(笑)


背徳のメス (新潮文庫 く 5-3)

背徳のメス (新潮文庫 く 5-3)