家族八景

 著者:筒井康隆
 発行者:佐藤隆
 発行所:株式会社 新潮社
 1975年2月27日発行

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 読心ができるため、自分は得をしているとも思わなかったし、損をしているとも思わなかった。聴覚や視覚の一種であると考えていた。他の感覚と少し違う所は、感知するために多少の努力を要することだった。七瀬はそれを「掛け金をはずす」ということばで他の精神作業と区別していた。
 「掛け金をはずし」た以上は、必ず「掛け金をおろさ」なければならないことを、七瀬はきびしく自分に律していた。掛け金をはずしたままにしておくと、相手の思考がどんどん流れこんできて、ついには相手の喋ったことと考えたことの見わけがつかなくなり、自分の能力を相手に知られるという非常に危険な事態になり兼ねないことを、七瀬は経験から悟っていた。

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 筒井康隆の「七瀬シリーズ」は有名なので知っている方は多いのではないでしょうか?私は存じ上げずに家にあった「エディプスの恋人」を読もうとした時「七瀬シリーズ」という言葉を目にしました。調べてみるとシリーズ3部作の中での最後の物語。うーん…桐野夏生のミロシリーズを最後から読んだことがある(知らずにですが)のでそこら辺は抵抗ないのですが、あまりにも邪道だと感じた為に「家族八景」と「七瀬ふたたび」の文庫本を購入してきた次第です。(後々本棚を漁ってみると「七瀬ふたたび」があってがっくり。(ほぼ初版のハードカバー)ですが、持ち運び出来ないのでこれはこれでいいのかも。)

 齢18歳。職業は「お手伝いさん」の七瀬は精神感応能力者(テレパス)だ。「お手伝い」という事で一つの家にとどまる事は無い。色んな家を転々とし、家族の心をテレパスで覗いていく。そして、色んな人間を目にしていく。そんなお話。

 1話1話が短くタイトルでもわかるように8つの家庭を転々とする七瀬。発行された時代が古目なので「背徳のメス」同様、時代背景も少し古臭くてとっつきにくいのではないだろうか…という不安があったが、とんでもない!この本の中心は「人の心」である。「増悪」の方が大半なのだが、人間の「増悪」というものはどこまでもどこまでも続くものだなぁと感じてしまった。何十年経ってもこの「増悪」に首を傾げる人は出てこないであろう。人間の汚い部分の本質を抉り出した「増悪」だった。勿論「愛欲」等もあるのだが、いい人がまるっきり出てこないのである。
 人は人と接すると幾らかの感情が出現する。好意もあるが、好意だけで人間関係は務まらないのはご理解いただけると思う。好意の裏には悪意がある。光は光として存在出来るのはその単体だけだからであり、遮るもの(対象物)があれば闇が出来るのは当然の通り。その闇の皮を一枚一枚捲っていくような感覚である。コレを考える事が出来る筒井先生も人間らしいのだな、と、少し感じる。

 読みどころは「増悪」でもあるが、七瀬の心境だと思う。抜粋させていただいた文章を読んで頂ければわかるだろうが、心が読める分読まないように努めなければならない。「掛け金をおろす」のだ。だが、18歳の少女にそれが何処まで出来るのだろう。「小説の中なんだから完璧なテレパスを持った少女を描けばいいじゃないか。SF作品なんだから。」と、言ってしまえば元も子もないのだ。七瀬が18歳で、少女で、処女で、けれどテレパスのせいで少し大人びていて、でも、18歳だという事実。これが面白いのではないのだろうか。

 ぶっ飛んだ物は無いかも知れない。SF作品なんだから、こうもっと有りもしないものだとか、想像を絶するものだとか…という人は別の本を是非。小さなSF。現実的な、とても奇妙な、そういう感じの作品だと思う。


家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)