七瀬ふたたび

 著者:筒井康隆
 発行者:佐藤隆
 発行所:株式会社 新潮社
 1978年12月20日発行

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 ついていらっしゃい、と、七瀬は胸の中でつぶやいた。どこまでもついていらっしゃい。北海道で、あなたは自分の罪を償うことになるのよ。たとえあなたがわたしの追跡をあきらめても、わたしはあなたを許さないわ。ヘニーデ姫の恨みを晴らしてあげるからね。それが殺人者に読まれているかはどうかはわからなかったが、七瀬は今や自分の敵意をまったく隠そうとせず、窓側の雲海にじっと眼を据えたまま唇を噛み続けていた。

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 七瀬シリーズ第二部「七瀬ふたたび」読了。
 第一部の「家族八景」の感想はこちら→家族八景 - 55book

 第一部からは想像もつかないストーリーの連発でまずびっくりする。"日常"の中を"非日常"の象徴である七瀬が過ごしていくストーリーとは打って変わっての冒険劇。七瀬は精神感応能力者(テレパス)の持ち主であり、心の掛け金を外すと対面している人間の心の中が手に取るようにわかる。能力者の存在は彼女だけであったし、それが彼女の孤独を増殖する結果という事も明らかであった。が、能力者が全て味方な訳もあるまい。その事を聡明な彼女は理解をしていた。

 そんな彼女の前に現れる能力者達。勿論、上記したように「全てが味方」な訳でもない。中にはその能力を持ち悪事を働く者だっているし、異物として能力者達は育ってきた。其の中で簡単に人を信用もしていけないだろう。其の中でめぐり合う仲間たち、そして恐怖となる対象。

 とにかく驚きの連続、そして、止まらない眼と手。次へ次へと進むワクワクとした感覚をどうしてこうも筒井康隆作品は産み出してしまうんだろう。

 七瀬シリーズ自体が古い作品なので今でいう差別用語(例えば黒ん坊等ど)が多く含まれる。例えば、石ノ森章太郎作品や手塚治虫作品等、有名で皆が絶賛する作品にも沢山そういう表現は含まれるのだ。(例えばカタワ等)実際こういう表現を改変しない辺りまだ文学は「許されているのかな」と思う節もある。お偉い先生方は「こういう表現が悪を産むのだ!」等というのだろうけれど、そうではないだろう。その時代に作られ、その時代に完成したものは改変してはならないのだ。なので、眉を潜めて読む事でもないのだ。

 本作の終わり方が凄く気になる所。「これどうやって続き…」って思うような終わり方。早く第三部を読まなければ…と思うのです。


七瀬ふたたび (新潮文庫)

七瀬ふたたび (新潮文庫)