虐殺器官

 著者:伊藤計劃
 発行者:早川浩
 発行所:株式会社 早川書房
 2010年2月15日発行

  • -

 CEEP、という言葉がある。幼年兵遭遇交戦可能性(チャイルド・エネミー・エンカウント・ポシビリティ)。
 そのままだ。初潮も来ていない女の子と撃ち合いになる可能性だ。
 その子の頭を、肋骨の浮き出た満足に乳房もない胸を、小銃弾でずたずたにしなければならない可能性だ。トレーサビリティ、エンカウンタビリティ。サーチャービリティ。ビリティ。ビリティ。ポシビリティ。世界にはむかつく可能性(ポシビリティ)が多すぎる。そして実際、その言葉が使われた場合の可能性は百パーであって、そこではもはや「ビリティ」の意味など消失している。ビリティは詐欺師の言葉だ。ビリティは道化師の言葉だ。
 ことばには臭いがない。
 映像にも。衛星画像にも。
 そのことにぼくはむかつきを覚える。
 脂肪が燃え、筋肉が縮ゆくあの臭い。髪の毛のタンパク質が灰になるときに出す臭気。人間の焼けるあの臭い。自分はそれを知っている。馴染み深いとは言わないが、この仕事を長年続けるうちに、幾度となく嗅がざるを得なかった臭気。
 火薬の燃える臭い。民兵たちが古いゴムタイヤを狼煙に燃やす臭い。
 戦場の臭い。
 衛生の映像を見ていて、ぼくの胸に沸き起こってくるのは不快感--胸糞悪い。なにが胸糞悪いって、それは映像のグロテスクさではなく、むしろその逆--こうして映像で見ていて、ぜんぜん胸糞悪くならないから--その胸糞悪くならなさが最高に胸糞悪い。屍体を冷たく見下ろす衛生のレンズ群は、凍りつく真空の星空にあって、地上の臭気とは無縁の、とりすました残酷な神の超越性を真似ている。
 かわりに、このフォートブラッグの特殊作戦本部で匂うのは、会議室の建材の匂い。コンクリートや樹脂に染み込んだ補強用塗料の、単分子(モノマー)の真新しい香り。接合材の科学臭。
 「これは航空宇宙軍の偵察衛星が四日前に捉えた映像です」
 そう、国家対テロセンターから来た男は説明し、
 「新インド政府の提訴を受けたハーグの検察部は、現在インド奥地で活動するヒンドゥー原理主義組合のリーダー八名に対し、逮捕状を出しています。罪状は人道に対する罪、子供を戦闘に動員した罪、そしてジェノサイド罪です」
 すべての文民連邦関係者に共通する特徴を、やはりこの男の声も備えている。音声と内容とが奇妙に剥離している感覚--自分自身もはっきりとは理解していないジャーゴンを、綱渡りのようにぎりぎりでリンクさせ、意味を失う寸前で現実に繋ぎとめ、言葉を紡ぎだしている--そんな印象のことだ。単純に軽薄と言ってしまってもいいのかもしれないが、いわゆる流行というものにまつわる軽薄さとは異なる不気味なものが、そこにはある。ジェノサイド罪という言葉も、人道に対する罪という言葉も、どことなくこの男の肉体に馴染んでいない、そういった違和感。マクナマラが語ったベトナム戦争は、きっと軍人たちにはこう聴こえていただろうな、とぼくは思った。

  • -

 結構前からこの本の存在は知っていて、SF好きなら当たり前に知っている作品なんだけど、何度も言うようだが私はまだSF初心者である。ので、まだ知らない有名作品はゴマンとある。だけど、装丁とタイトルと著者の名前は目を引く物があって中々忘れる事が出来なかった。「メタルギアソリッド好きなら面白いかもしれないですね」というコメントを知人にもらい、実はそこで一旦諦めた口である。何故ならメタルギアソリッドの事なんてこれっぽっちもわからないからだ。やろうと思った事も無いし、やりたいと思った事も無い。実際映像で見る戦争ものは怖くてあまり見れなかったり。多分小さい頃、広島原爆の絵本をアニメ化した作品を一人で見たのが原因かもしれない。子供を抱き抱える母親の描写があまりにも怖くて泣きながら母の胸に飛び込んだ記憶が今でも鮮明に蘇る。幼稚園の頃から生き死にには非常に敏感で、ノストラダムスの大予言の時なんかは怖くて怖くて何日も泣いていたなんていう事も。じゃぁ何故本作を読んだかという疑問が産まれると思います。実際躊躇しました。でも、SF作品を読むにつれて伊藤計劃への興味は膨らむばかり。たまたま寄った本屋に置いてあった時は感激のあまり1分程静止(田舎なので充実した本屋さんが無いのです…)。恐る恐る中身を見ると意外と読みやすい文章の流れ。スラスラと10頁程を読んで「これを買うんだ」という決心が付きました。後、躊躇していた原因がもう一つ。2009年3月20日、34歳という若さで伊藤計劃がこの世を去っているから。亡くなった方の作品に手を出す事は私にとってとても勇気がいる事なのです(亡くなってから随分と経っている方に関しては諦めも着くけれど)。だけど、手にしてしまった。開いてしまった。読みたいと思ってしまった。そして、読んでから色々後悔もする事になる。

 "どうしてもっと早くにこの本に巡り合わなかったんだろう。"という後悔だ。

 文章表現としては多少残酷な表現が多い。目をそらせたくなる表現もある、が、そこらへんは平山夢明の小説を読みまくったせいで鍛錬されていて私には一切のダメージも与えなかった。描写が凄く鮮明に映像化される感覚が久しぶりでサクサクと頁を進めていく。戦争物は怖いけど、引き込まれる言葉の音と、匂い、空気がじっとこちらを見てる感覚になった。後、ストーリーが好みである。前回感想を書いた我語りて世界あり - 55bookにも共通して言えるのが"言葉"や"感情"である。若干インパクトに欠けるという感想が多いけれど、私にはこれくらいで丁度いい。これ以上いい物を与えられていたら私は悔やんでも悔やみきれずにこの感想を書いている事だろう。

 "普遍"と"特殊"が混じり合った世界の中での"日常"を、是非感じて欲しい。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)