我語りて世界あり

 著者:神林長平
 発行者:早川浩
 発行所:株式会社 早川書房
 1996年1月15日発行

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 戦闘アーマー群のところまできて、保安員は丸腰で保安舎を出たのを悔んだ。
 一体のアーマーのわきに男が一人、泥にまみれたアーマーの表面をなでていた。愛おしむように。この男は−−
 「桂谷軍曹」
 思わず保安員は名を呼んでいる。
 「名を呼ばれるなど久しくなかったことだ」
 白髪の老人が言った。
 「わたしは・・・・・・あなたと共感交していたようだ。夢じゃなかったんだな」
 人間のすべてが感じたはずだ。保安員はそう思う。
 「おや、あれは」
 保安員はアーマーたちの巨体の間を歩いて来る三人の人間を見る。
 「晨・・・・・・央に隼子か」
 晨はアックスを、央がM29205DKU個性体をもっている。
 近づいてきた央は、個性体を無言で手渡した。
 「お返しします」と隼子が言った。「桂谷さん。あなたの過去です」
 「自分を消して生きてきた」老人が低い声で言う。「あれはだれか他の人間のことだと思ってな」
 「あなたはあなただ」
 晨がそう言って、アックスの可変有機受容体を老人に差し出した。
 「そしてそれも、そう思いたがってる」
 「MISPANというプログラムがある。生きているよ」央が言った。「MISPANというのは極秘だったんだな。内容はだれも知らないんだ。でも使える」
 「そうか」
 「いけません」保安員は首を横に振る。「あなたも悪夢の世界へ逆もどりだ」
 「それでもいい。わたしが得たものは、こいつだけだ。こいつは事実そのものだ」
 「やるのか」
 央は訊いた。老人はうなずいた。共感で、わかる。
 老人は個性体を見つめる。そして言う。
 「わたしはここにいる。わたしは唯一人、一人だけだ」
 MISPAN、作動。
 老人がくずおれる。四人の人間がかかえおこした。
 「・・・・・・エムコンを外してくれ」老人がかすかな声で言う。「この世はうるさすぎる」
 MISPANとはなんだろうと央は思う。人間と機会の融合作用をするのか。
 保安員が老人の両眼のエムコンを外した。
 老人の共感波が感じられなくなる。老人はこの世から消えてしまう。肉体より一足早く、心が消える。そして息たえた。
 個性体が残った。

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 「NOVA 2」で神林長平に魅了され即本屋で購入を果たしたのが「我語りて世界あり」である。「NOVA 2」に収録されていた「かくも無数の悲鳴」はまだまだSF初心者の私にとってはガチガチのハードSFで実際読むのには苦労した。でも、それでも面白かったという気持ちが生まれてしまってはしかたない。このままこの人の作品を読まない訳にはいかない、そんな気持ちが一番大きかったかもしれない。

 この世界には個性がある。私が今この文章を書けるのは個性があり感情があるからだ。私が私としての名前を持ち、人格を持ち、容姿を持つことで私が形成されている。だが、作品の世界内では個性を持つ事は"罪"なのである。
 統率する"神"と等しい存在があり、そこから派生すると思われる謎の"MISPAN"の存在。個性が無ければ感情も無い。でも、それでは生きていく事は出来ない。人は地図を持たずとして行き先にたどり着く事は難しい。だから、真っ白な紙にくっきりとその時その時の地図を書いてくれるような存在の"エムコン"を皆が装着する。それで全てが上手くいく。生きていける。皆が皆空っぽなのだ。OSだけがいれこまれたPCのように、自身で好きなソフトウェアをダウンロードも出来ず、"エムコン"がその時必要なデータをダウンロードして実行してくれる。
 そこに個性を持つ3人の子供が現れ、"わたし"が現れる。姿形を持たないが、自我をしっかりと持ち肉体を求める"わたし"。個性を持つ事は罪だ。エムコンを外す事も罪だ。だが、それが可能な3人の子供。なぜ可能かと言うと"わたし"の存在で"外す"という事実がシャットダウンされるからだ。なぜシャットダウンされるのか、なぜこの3人は名前を持ち続けるのか、"わたし"とは一体何なのだろうか。

 文体としてはSFを読み慣れないときっと難しいと感じると思う。私もまだまだなのでゆっくりと読んでじっくりと理解した。

 流石巨匠というべきか、読み終わった後に「再読したい」という気持ちになる。簡単に言えばゲームの二週目だ。内容が全部わかっていて視点を変えて楽しい作品。結構こういう作品は数少なかったりするものである。
 初めて読んだ神林作品(長編)だから過大評価かもしれないが、私はこういう設定が大好きだ。"言葉"や"感情"や"個性"。想像で産まれる未来の話の大体はコンピューターが牛耳る事が多い。だから尚更其れが大事になってくるのだと思う。そう思うと「アイの物語/山本弘」なんかもそれに当てはまるんだろうな。

 

我語りて世界あり (ハヤカワ文庫JA)

我語りて世界あり (ハヤカワ文庫JA)