百瀬、こっちを向いて。

著者:中田永一
発行者:竹内和芳
発行所:祥伝社
2010年9月5日第一刷発行

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 昼休みがおわり、僕は午後の授業に出席した。席についてしばらく先生の話を聞いていたが、やがて息苦しくなり、前傾姿勢になって耐えた。おまえのきもちは錯覚だ。そう自分に言い聞かせた。おまえは演技にのめりこみすぎているだけなんだよ。だからもう感じるな。いっしょにいてたのしい、うれしい、といった気持ちを遮断するんだ。この騒動がおわったら、またおまえは一人になるんだからな。

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 「百瀬、こっちを向いて。」
 「なみうちぎわ」
 「キャベツ畑に彼の声」
 「小梅が通る」

 この4つが詰まった短篇集。書店で何となく手にした真っ白な装丁。基本的に恋愛小説は読まないのですが、少し甘い物が読みたくなったので。

 表題である「百瀬、こっちを向いて。」を読み終わった後の感想は「読みやすいなぁ」。そこから少し評価が気になってネタバレを見ない程度に読書メーターで評価を見てみると「乙一さんだとは思わなかった。」「乙一さんと聞いて呼んでみました。」との文字が。まさか…と思い「中田永一」で検索すると、最近まで覆面作家として本を出していたとの文字。正体は乙一。なんと!
 乙一は嫌いではなくどちらかと言えば”好き”の部類に入るのですが、それはまた若い頃の話。大人になり、ゆっくりと乙一の本を読んだ事が無かったので「今読むと、今の自分にもしかしたら合わなくて”好き”だという感情が薄れるのが怖い。」という感情が最近出ていたのでとってもタイムリー感が…!

 「百瀬、こっちを向いて。」
 主人公は学校内で友達も少なく、趣味も暗く、勿論彼女も居ない位高校一年生。ある日、学校内で噂される程の美人と付き合っている幼なじみの先輩から頼み事をされる。内容は自分の浮気相手(百瀬)と恋人役を演じ、本物の恋人を騙して欲しいという物だった。

 とにかく、百瀬が可愛くて仕方ない。活発な少女で不良相手にも「何?!」と強気に物言いをするような子だ。「嗚呼、女の子って強いんだ」っていう感覚と「女の子って脆いんだ」っていう感覚が交互に入ってきて、結局「女の子は強いんだ」っていう結論に自分の中では達してしまったのだが「女の子って、やっぱり女の子なんだな」という気持ちになる、そんな作品。とても読みやすく、ほんのりと甘酸っぱい感じが強い。

 「なみうちぎわ」
 15歳の時とある事件から遷延性意識障害になってしまった主人公、姫子。奇跡的に目が覚めた時、自分はもう21歳になってしまっていた。とある事件に関わった家庭教師の教え子小太郎と姫子の時計は止まったままだ。リハビリを重ね少し不自由だが、自由を取り戻した姫子は何を取り戻し、何を動かしていくのか。

 罪の意識と恋心が攪拌するとどうなるのだろう。自分の中の時計が壊れ、相手への気持ちもぶつけられず、ただただ成長していく小太郎と、成長はしてるであろう姫子の時間。5年なんて大人になればすぐに過ぎ去るものだが、子ども時代はそうでは無かった記憶がある。1日が長く、季節が変わる場所を眺める事が可能だった。其れを5回繰り返す。ゆっくりとした時の中で。だけど、胸の中のしこりを消化する事は出来ない。この大きな物を何処にもぶつけられない気持ちを考えるととても辛くなる。とてもいいラストだったと思う。人を想う気持ちとは如何に強い物なのか。

 「キャベツ畑に彼の声」
 本田先生は国語教師で、まるで産まれた時からかけてるんじゃないかと思われる位の黒セルフレーム眼鏡が似合う素敵な先生だ。先生と高校生である久里子との関わりは、授業が始まる前の出席取り程しか無い。だがその声は、芯が通っており、青空に引かれた飛行機雲のような声をしている。ある日、叔父の伝で「テープおこし(編集者が作家等に質問した生音声を文字に書き上げる仕事)」のアルバイトをする事になった久里子。昔、本屋でちらりと見た作者:北川誠二のテープおこしの仕事をもらいカセットテープを再生すると、そこには聞き覚えてのある声が。芯が通っており、青空に引かれた飛行機雲のような声…その声を久里子は知っている気がするが…。

 先生と生徒の秘密の恋…では無いけれど、人気のある人の秘密をいきなり握ってしまう気持ちというのはどういう物なのだろうか。人の弱みや秘密を握るというのはやはり何処もいい気分がしないので、(好きな人なら尚更)とても罪悪感や色々な気持ちがジレンマになってくるんだろうなという。少しミステリーチックで発想はとても好き。最後の最後で少しのどんでん返しがあるのだけれど、其れを紐解くのもミステリーチック。現実的ではない方だとは思うけれど、私は結構好きでした。

 「小梅が通る」
 地味に生きよう。地味に人に見られないように。輝かしい場所なんて自分には合わないし、人間は外見で人を判断するんだと高校生ながらに悟っている柚木。その柚木には秘密がある。まさかその秘密がクラスのおちゃらけ山本がはしゃいでいた事から始まるとは。そして、そこから深く関わるだなんて…。

 まさかの発想。パッと考えると「嗚呼、やっぱり長けてる人には長けてる人なりの不安要素とかがあるのね」とは思うが「なにそれ嫌味?」と思えるような感じも。どちらで捉えても自由だがこれは小説なので前者で捉えた方が楽しく読めるのでは無いかと思う。中盤から事態は少し展開していく。所謂「逆の発想」とはこの事なのでは無いのだろうか。でも、偽らないと見えないものがあるという物にガッカリしてしまう気持ちもある。実生活で誰でも体験する物が詰まっているので少し胸が痛い部分も、色んな人が読んで色んな気持ちが浮かぶかも。


 とにかく感想としては「読みやすかった」。1時間少しで読んでしまったのは久々である。300頁にも満たない本だからか、乙一…いや、中田永一の文体がやはり合っているのか。にしても感服である。私が初めて読んだ乙一は「死にぞこないの青」だった。高校生の頃に読んで「読みやすい、面白い」と感じた感覚が25歳になった今でも残る。と、言う事はやはり広い年齢層から読みやすいという評価を得ているのでは無いのだろうか?(実際難しい漢字を多様していないという所で中学生辺りでもサクサク読めるという感じ。)頭を休める箸休め感覚で読むのはいいと思う。ただ、こればかりを読んでいくときっと”物足りない”と思ってしまう感覚は拭い去れないかも。「いや!そんな事ないよ!こういう本ばかり読んでいても楽しいさ!」と思う人はきっと本を沢山読んでいないと思う。もっともっと触れてもっと過激な本を読んで、ハッピーエンドを傷付けるような本を読んでから箸休めで読む方がしっくり私としてはくると思う。偏見っぽいですね。ですが、”箸休めにすらならない本”が世の中にゴマンとある事を知っていてからのお話。


百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)